「推し」という言葉の意味と「ファン」との違い
のりさらだです。
今回は「推し」という言葉の意味と「ファン」との違いについて、書いていこうと思う。
自分にも以前は「推し」と呼べるような存在があって、ある出来事をキッカケに嫌いになってそのビジュアルも見たくないほどになったことがあった。アーティストで音楽家なので楽曲は聴き続けていたけど。
今はだいぶ回復?してきて、普通にビジュアルも見れるようになってきたけど、以前のような位置、いわゆる「推し」と呼べるような所にまで気持ちを持っていかないようにしている自分がいる。「ファン」の位置で留めておくというのか。
何でだろうなと思っていたけど、以下のお二方のツイートを読んでなんとなく納得できたような気持ちになった。
でも最初は、恋愛みたいになってその人の一挙手一投足に自分の感情が一喜一憂してしまってそれが嫌だったから、なんだけど、もっと耳障りのいい、自分でも「納得」しやすいような言葉を見つけてしまったということなのかもしれないけど。
いまいち推しという概念がよくわからない。ファンでいいじゃん、と思ってたのだが、考えてみるとたぶん、ファンの場合は主体はアイドル等の対象の方で、押しと言うと主体がファンの方になる。だから、推しというのは、自分がその対象を支えて「やって」いるという感じがあるのだろうか。
— 千葉雅也『オーバーヒート』発売 (@masayachiba) July 21, 2021
fan=fanatic、熱狂的な、ってあくまでも訪れを受け止める受動性に焦点が合ってるけど、推しって言う言葉には、(自分が)推す、という意味が強いよね。
— 来 (@69cheshirecat96) July 23, 2021
対象に振り向いてもらえなくても、支えているのは「俺」、金を使うのは「僕」、愛しているのは「私」。
個の時代ねぇ、なんて思って眺めているけど。
あと、上記を検索しているときにこんなnoteも見つけた。
このnoteにはなぜ「推し」という言葉が生まれて、「推す」という行為が力を持っていったのかが明確に書かれていてとても分かりやすかった。ありがとうございます。
自分が好きなのは「アイドル」ではないんだけど…
抜き書きーーーーーー
もちろん、「推し」という言葉が、今のアイドルオタク界隈でもっとフランクに使われている用語だということはわかっている。それどころか、アイドル界隈を超えて「推し」は一般化した。特定の誰かを応援することは今や「推し」と称される。推しメン、推し作家、推し漫画。けれど、「推し」は、オタクやファンといった語より多くのものを内包しているのではないだろうか。
ーーーーーーここまで
の文章で、好きになってハマって誰かを応援するという行為自体が、もう「推し」という言葉になってしまっているんだなと感じた。
でも、最近自分のファンの対象の人ではないんだけど、あるミュージシャンのサブスクで「消音再生」をして、寝ている間でも仕事中でもサブスクの再生回数を上げられる方法を推奨している人がいるらしくて、サブスクの再生回数が多ければそれだけそのミュージシャンの人にお金が入る訳だからそれで推奨してるという理屈なんだけど、
「消音再生」なワケだからせっかく作った楽曲は、その間誰にも聴かれることはない訳で…。
ものすごい本末転倒だということで問題に思う人も少なくない。
ただそれも上記のツイートの
>自分がその対象を支えて「やって」いるという感じがある
>対象に振り向いてもらえなくても、支えているのは「俺」、金を使うのは「僕」、愛しているのは「私」
という言葉の意味を考えると、何が何でも推せればよいっていう感じなのかなとか思ったりした。
自分も他にファンブログみたいなものを持っているので、こういう内容はそっちで書いた方がいいかもとも思ったんだけど、なんか最近変に影響があるように思える感じになってきてしまって、色々と書きにくくなっているような気持ちがあるので、こちらにこそっと書いておくことにする。
あと、自分に見えている世界は(自分にとっては)間違ってないとは思うけど、それが他の誰にでも正しいものではない、ということを忘れないようにしようとも思う。とある人の受け売りだけど。